飛行機雲(旅の流れ)
日本出発
2003年6月19日、富山県伏木港より、フェリーでロシア、ウラジオストクへ向けて出発。
ユーラシア大陸横断
ロシア横断
約一ヶ月。二輪自走で、途中、列車輸送などをせずに横断したのは、私が日本人で三人目と思われる。
ユーラシア大陸北端
2003年8月13日、ノルウェーのノール岬到達。
ユーラシア大陸西端
2004年1月6日、ポルトガルのロカ岬到達。
ユーラシア大陸南西端
2004年1月11日、ポルトガルのサン・ヴィセンテ岬到達。
アフリカ大陸一周
2004年1月17日、スペインのアルヘシラスから、フェリーでモロッコのタンジェへ向けて出発。同日着。
アフリカ大陸北西端
2004年1月18日、モロッコのスパルテル岬到達。
サハラ砂漠縦断
2004年2月14日から二泊三日で縦断。モーリタニアのヌアティブ−ヌアクショット間521kmの砂漠地帯を自走。フランス人ツーリストらとともにガイドを雇い、協同して縦断する。
上温湯隆氏のモニュメント
2004年3月30日、マリのメナカにある、上温湯隆(1975年、らくだでサハラ砂漠横断に挑戦するが、途上、渇死した日本人)のモニュメントを表敬訪問。
アフリカ大陸南西端
2005年2月19日、南アフリカ共和国の喜望峰到達。
アフリカ大陸南端
2005年4月5日、南アフリカ共和国のアガラス岬到達。
ソルトパン縦断
2005年5月12日、ボツワナのマクガジカジ・パン(塩田)を、GPSを頼りに縦断。GPSのトラックデータもとる。
関野吉晴氏のモニュメント
2006年5月30日、タンザニアのラエトリにある、関野吉晴(1993年から2002年にかけて、人類の歴史を逆にたどる旅をした日本人)のモニュメントを表敬訪問。
人類初の二足歩行足跡のあった場所も、あわせて視察。
アフリカ大陸脱出
2006年9月20日に、エジプトからイスラエルへ出国。
トルコ
東部の峠越え
2006年11月上旬、気温-8℃、路面は一部、積雪や氷結。小雪の舞う寒風の中、黒海沿いの町、HOPAまで走り抜ける。
エルズルムから東ヘ進み、アララト山麓の町、ドウグバヤジットへ。そこから北西へ進み、アルダハンを経由して黒海沿いの町、HOPAへ出た。
ユーラシア大陸再横断(中欧〜ロシア)
風間深志氏とランデブー
2007年7月23日 ポーランドのクラクフにて、ユーラシア大陸横断中の冒険家、風間深志氏と会う(厳密には前日の22日に一度、会っている)。 この遭遇については、風間氏のブログ、TBS「筑紫哲也NEWS23」の特集『障害負った冒険家大陸横断旅』(前編8月13日、後編24日放送のうち、後編24日放送分)、雑誌『培倶人(ばいくじん)』12月号に、わずかに紹介される。
ロシア(モンゴル)横断
約一ヶ月。ウクライナからロシアに入国し、サハリンへ抜ける。行程のほとんどの日はブッシュキャンプ。途中、ウラン・ウデ(ロシアの都市)を基点に、モンゴルも訪問。
日本帰着
2007年9月19日、サハリン(ロシア)のコルサコフ港より、フェリーで北海道の稚内港へ帰着。9月30日、約束の地、セセキ温泉に着き、ミッション完了を宣言(撮影:親友S)。
今後の予定
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